木梨精一郎




今日は半夏生(はんげしょう)です。
もうすぐ梅雨が明けるのでしょうね。


半夏生とは
雑節の一。太陽が黄経100度にある日で、夏至から11日目。7月2日ごろにあたる。このころから梅雨が明け、田にカラスビシャク(半夏)が生えるのを目安に田植えの終期とされてきた。





大枝特派員より


ノウゼンカズラスイレン

南九州地方は大雨が続いている様で心配です。
特に鹿児島県が一番ひどいようですね
宮崎も隣の県だけに気懸りです。
山口も25〜26日にかけて激しく降りましたが
幸いにして大きな被害もなく一安心です。
今日(28日)は晴れ間が戻り気温も30度近くになりました。
今回は我が家の庭先に咲き始めたノウゼンカズラ(原産地中国)と
ノウゼンカズラは昨日アップしました。)






我が家から4〜500メートル奥まった所に、幕末の志士
木梨精一郎(1845〜1910)の邸宅に(現在は年老いたお孫さん夫婦が住んで
います)
全面を囲う造りで池があり(約5000平方メートル)その池一面に
淡い黄色い花が咲き誇るスイレンが見ごろになっています。






そこに出てくる木梨精一郎を調べてみました。


木梨精一郎 きなし-せいいちろう

1845−1910 幕末-明治時代の武士,官僚。
弘化(こうか)2年9月9日生まれ。椙原治人(すぎはら-はるんど)の長男。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。戊辰(ぼしん)戦争では東海道鎮撫(ちんぶ)総督参謀,ついで奥羽追討白河口総督参謀となり,磐城(いわき)平(たいら)城を攻める。維新後は長野県知事,元老院議官,貴族院議員。男爵。明治43年4月26日死去。66歳。名は恒準。号は宮圃。