ソテツ

miyasun2006-10-05

赤い蘇鉄の実も熟れる頃♪♪
カナな年頃♪ カナは年頃♪♪・・・・・

昔この歌が流行っていましたね。


蘇鉄を見るとこの歌を思い出します。



蘇鉄の実がだんだんと色づいてきました。



夢華さん、
この実で作ったサルを手に入れました。
ヤマキリシマさんが、
この前の正観さんの講演会の時にわざわざ持って来て頂きました。
もう今は無いかと思っていたら今でも売られているようです。
ヤマキリシマさん、ありがとうございます。





南男さる」と言うのだそうです。
なんおさる と呼びます。
難を去る、そうです。難が去るだから良いですね。






さて昨日の続きですが、
吉田松陰先生の門下生について書きます。


短期間で凄い人々を輩出したと書きましたが、
どんな人たちだったのでしょうか。


松下村塾の双璧と言われた、
久坂玄端(塾生の中心人物、禁門の変で自決、24才)
高杉晋作(誌の志を継ぎ、藩を倒幕に導く、病死28才)


またこの二人に加えて、四天王と言われた、
吉田稔麿(村塾の基礎作り、池田やの変で自刃、23才)
入江杉蔵(師の再投獄中尽力、禁門の変で戦死、27才)


みな日本の夜明けを見ることなく20代の若さで壮絶な死を遂げました。


それから明治政府ができ、参議に「木戸孝允」「前原一誠」の2名
さらに、総理大臣に「伊藤博文山県有朋」が
その他にも大臣3名、県知事、造船所所長などなど
まさにキラ星のごとく逸材を輩出したのです。


先ほども短期間でと書きましたが、
松蔭先生が教えたのはたったの一年と一ヶ月だったのです。


どんな教育方針だったのかはまた書きますね。