見えないもの
一ツ葉の入江に鴨がたくさん飛来してます。
スイスイと気持ちよさそうに泳いでいます。
カメラで大きく撮りたいのですが、
望遠がありませんから、なかなか上手く撮れません。
近づくと逃げます。
前にも書いたかも知れませんが、
鴨を見るとついつい思い出す言葉があります。
「ただ見れば、何の苦もない水鳥の、足に暇なき、我が思いかな」
スイスイ泳いでいるようですが、
見えない水の中では一生懸命足を動かしているのです。
人生でも他人はスイスイ生きているように見えるけど、
みんな何かしら、困難を抱えて生きているのです。
中国へ行くと大きな木を見ることが少ないのです。
日本ではいたる所に大きな木を見ることができます。
木を見て、その土を見る。
小さな木しか生えていない所は土地が痩せているか、
岩盤があるのです。
土の下は見えませんが、木を見て、土地の状態まで見ることができるのです。
このように目には見えないところを見れるようになりたいものです。
昔の私は花などほとんど見てませんでした。
あっても見えないのです。
だからあっても見てなかったら、ないのと同じです。
このブログを書くようになってから、
小さな花にも目が行くようになりました。
いろんな事が見える、目になりたいものです。
人の心も、社会情勢も、宇宙の法則も。
今朝の花々と蘇鉄の実です。
蘇鉄の実はもう真っ赤に熟れています。