エルトゥールル号遭難事件

miyasun2010-08-18



昨日「黒島流れ」のことを書きましたが、
実はこのエルトゥールル号遭難事件のことを
枕崎の人に話したのです。


そしたら同じようなことが枕崎にもあるのだと
話してくれたのでした。


1890年(明治23年)にこの事件は起こりました。
黒島流れより5年前のことです。





オスマン・トルコ帝国の軍艦エルトゥールル号が、日本とトルコの友好のために来日し、帰国の途中
和歌山沖を航海中、台風に遭遇し、不運にも串本町樫野崎の岩礁座礁・沈没します。


乗組員609名、その内540名が殉職したのです。
生存者はわずか69名。
樫野崎の漁民たちは必死で救助に当たったのです。


寒さで凍える人たちを暖め、
女性は裸になってまでして体温で暖めたそうです。


そんな甲斐あって、69名の人たちが
助かったのです。


そしてこの人たちのために、なんと、
義援金まで全国から募り、
当時のお金で5千円、今では3千万円以上の
募金が集まったそうです。


これを伝え聞いた明治天皇
ご自分の御座船二隻を遣わし、祖国まで
送り届けるのです。


この恩を忘れないトルコの人たちは、
教科書にまで載せているのです。





そのことがあってから、95年後の1985年3月に
イラン、イラク戦争が勃発しました。


当時のイラクのサダム、フセイン大統領は
48時間後にはイランの上空を飛ぶ飛行機は
全て打ち落とす、と宣言しました。


当時のイランには大勢の日本人がいましたが、
通常の飛行機は満席で乗れません。
日本からは自衛隊機も民間機も救出のために
飛んでは来てくれませんでした。



外務省はあらゆる手を使い交渉しましたが、
それぞれの国は自国の国民のためだけにしか、
飛行機は派遣してくれません。


そこに2機の飛行機がトルコから飛んできました。


もちろんトルコ人たちの救出のためです。
ところが当時のトルコのオザル大統領は
その内の一機を日本人のために、
使わせくれたのです。


イラン空港にはトルコの人たちも
大勢待っておりますので、とても一機では
乗り切れません。


トルコの救出に当たる担当者が
一機は日本のために使うと言うと、
みんなは唖然としましたが、
ある子供が「我々は陸続きだから、歩いてでも
帰れるではないか」と叫んだのです。


今こそ恩を返す時だと。


かれらは95年前に受けた恩を忘れていなかったのです。
トルコ人全員が納得し、一機に日本人が
乗り込み送り出してくれたのです。


かれらはバスや車に乗り、山を越えて祖国へ
帰ったのです。


涙がでますね。





日本人もこのトルコの人たちの恩を忘れては
ならないと思います。


日本の先人たちが残してくれた、たくさんの
良い行いのために現代の我々は生かされいるのですね。


ありがとうございます。





追記、
串本町には、この時に亡くなった人たちの
慰霊塔が建っているそうです。