撫順

miyasun2011-08-30



瀋陽から1時間くらい車で走ると撫順市(ぶじゅんし)があります。


実はここが私の中国事業の原点なのです。
ここから中国事業が始まったのです。


ここに20年前、ブロイラーの加工場が
あり、そこを改装し台湾企業の大成長城Gが
日本向けの工場を造りたいとのことで、
協力依頼があったのです。



そこで、その工場に日本の技術を導入し、
衛生管理も徹底させ、鳥の解体を指導し、
日本向けの商品を作り、輸入を始めることになったのです。


1991年のことですから、
今年で丁度20年になります。
良い機会ですので若い社員に、
原点の地を見せたいとの思いで、
結婚式の翌日午後から張さんの案内で行ったのです。


実は工場が出来て5年後に大洪水で
この工場は壊され、今はもう稼動してないのです。
それは分かっていたのですが、工場は残っているかも
知れないと一縷の望みを抱いていたのです。


と言うのもここは中州になっていて、
両側に川が流れている、そんな立地なのです。


ところが、撫順の街に入って行くと、
もう、昔の面影は全くありません。
道は立派に舗装され、アパートや高層ビルが
立ち並んで、どこに工場があったかわかりません。


何度も、地元の人に聞きながら、やっと、
現地にたどり着きました。






やっぱりと言うか、工場は跡形もありません。
歩いて、跡地に立ちましたが、感無量でした。







そこに地元の長老が散歩で通りかかり、
張さんがいろいろ聞いてくれましたが、
ここに工場があったのは間違いないとのこと。







去年、撤去され、今は公園にするべく、工事を
していたのでした。


実は工場へ行く為の橋があり、
当初は木造の粗末な橋でしたが、大雨で流され、
コンクリート製の立派な橋を造ることになったのです。


その橋の名前を、私の名前を採って、
「光明橋」と命名してくれ、石に名前を彫り、
橋の欄干になっていたのですが、
それも大洪水で流されていたのです。


ところがその地元の長老が、覚えていてくれ、
確かにここに、「光明橋」があったと教えてくれました。


ちなみにその長老は張さんより、一歳下の85歳です。
二人共お元気ですね。


若い社員に原点の地を見せられて良かったと
思います。





これからも中国事業は拡大させたいと思っておりますので、後継の社員たちに思いが伝えられた、良き日と
なりました。