昭和新山





洞爺湖から昭和新山へ向かいました。


昭和新山は私が産まれる前に出来ていたのですね。
以下を参考までに記しておきます。





ウィキペディアより転載。


1945年(昭和20年)
1月10日 - 溶岩ドームの高さ、地表より10〜20m。
2月11日 - 溶岩ドームは高さ40〜50mに成長。
2月26日 - 溶岩ドーム主塔の脇に、副塔が確認される
5月 - 主塔の高さ85mに達する。
9月20日 - 全活動停止。溶岩ドーム主塔の高さ175m。

現在は398m になっています。


昭和新山は、1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームである。当時は太平洋戦争中であり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。地元の郵便局長、三松正夫は、その成長の詳細な観察記録を作製した。これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となった。また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行った。このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山である。1951年(昭和26年)、国の天然記念物に指定、1957年(昭和32年)には特別天然記念物に指定された。

現在、昭和新山山麓には、三松正夫記念館が建っており、三松正夫による観測記録などの資料類が展示されている。






このように正に昭和に出来た新山だったのですね。
有珠山の麓にあります。
この有珠山へ登るのにロープウエーがありますが、
そこの乗務員が今この辺りの土地は安いので、
今買っておくと将来、山の所有者になるかも知れませんと、
冗談を言っていました。






さて、昭和新山には併設された「熊牧場」がありました。
可愛い熊さんたちが餌をねだっていました。
手を上げて、振るのです。おいで、おいでをするよに。
愛くるしい格好でした。




年齢別に、幼稚園、小学校、中学校などと部屋が違っていました。